何度か登場する出産間近の友達。
一昨日張りがあるからどうしよう、とライン。
病院行きなさい、と勧めたら結局そのまま入院に。
里帰りの予定を変更。
というか帰れなくなった。
色々予定が変わり、突如訪れた入院に本人も考えることが山積み。
3歳になる子供と急に離れたことも大きい。
その子の性格や暮らし方にもよるけれど。
今の所機嫌よくいてくれてるらしいがまだ日は長い。これがお産までとなると2ヶ月くらいは離れた生活。
見えないストレスはきっといろんなところに溜まるだろうな…と他人事ながら心配になる。
わたしは本当に心配だった。
次男坊を産む時にお兄ちゃんと離れた時間が。
仕方ないし次男坊を元気に産む以外やるべきことはないのだけれど。
それでも。
お兄ちゃんと離れることはほぼない暮らしをしていたので不安しかなかった。
これは、第一子と母の初めての試練だ。
産後の思い出②
- お兄ちゃんがんばる、の巻
お兄ちゃんは破水からの出産だったために、次男坊も破水や切迫、早産なんぞをとても心配された。そしてなにより早めに帰宅して両親たちとの実家暮らしにも慣れて欲しく32週あたりで里帰り。
お兄ちゃんは順調に暮らしに慣れていったが、やはりわたしがいないと夜は眠れない。
次男坊は夜中に陣痛がやってきて、お兄ちゃんが寝ている間に病院へ。
口で言ってもきっとまだわからない。
お母さんが病院へ行ってしばらくお家にいないよ、とはあえて口にせず。
そのまま出産へ入った。
産んだその日にお兄ちゃんは次男坊と対面。
旦那もいてくれていたので、旦那と母と家に帰るものの夜はなかなか寝れなかったそう。
翌日からはわたしを恋しくて泣くことはなくても食欲はグッと落ちた。
3日目、義父母も会いにきてくれお兄ちゃんもやってくる。
帰り際、大泣き。
旦那が無理やり抱いて連れ去っていった。
病室からお兄ちゃんの泣く声だけを聞いて耐えられず涙がこぼれる。
その泣き叫ぶ声とわたしの姿を見た年配の看護師さんはわたしを抱きしめ言った。
「みんながそうやって乗り越えていくんだよ。それが普通。お母さんを恋しくて泣くのも、それに耐えて泣くあなたも普通。それでいいんだよ」
何もしてやれない。
仕方ないけど、どうしようもないけど。
離れることの辛さを初めて感じた瞬間である。
それからもお兄ちゃんはなにを食べてるかわからないような食生活。
母の方が心を痛めていたのが申し訳なかった。
数日食べなくても死なないよ、食べたいときに食べたいもの食べて今は暮らしていてくれたらいい。
指折り待って、1日が終わるたびにカウントダウン。
問題なく最速で退院!
やたー!!
わたしが帰れば問題解決!
そう思っていたのは事実なのだが。
帰宅して、次男坊がいる暮らしの始まり。
お兄ちゃんは次男坊に興味もあり、優しく接してくれていた。
でも。
しばらく夜が眠れない…
朝方の4時とかまで起きてたりする日もあった。
寝ても目が覚めてウロウロしたり。
眠いのに、ウトウトウトウトしてるのに、寝れなくて。
その姿を次男坊を抱きながら何日か見ていた。
わたしがいたらいいのではない。
お兄ちゃんにはお兄ちゃんの気持ちがあって。
次男坊を受け入れる準備。
次男坊を抱くわたしを受け入れる準備。
自分がもう自分だけではない暮らしになる、ということをお兄ちゃんなりに理解して受け止めようとしているんだな、と思った。
そりゃそーだな。
わたしたちはわかる。
妊娠して赤ちゃんが生まれること。
でも、子供からしたら突然現れる様なものなんだろうな。
母親のお腹が大きくなって、ここに赤ちゃんがいるよーなんて言ってもきっとそれはそれで。
目の前に生まれてきた赤ちゃんを見たときに、この子がお腹にいた子なのだ、とはどれだけ理解できているのか。
今まで当たり前に自分のモノだった母。
そこに当たり前に抱かれる自分以外のモノ。
言葉にしない分、その小さな背中に何度か泣かされた。
第二子を出産してからの第一子へのケアが大事、と何度も耳にし本などでも読んできたが、あぁ、これがそういうことなのだな、と実感したときだった。
抱きしめるだけでは足りなくて。
言葉なんかもっと伝わらなくて。
日々が解決するのだけれど。
それでも。
産後、お兄ちゃんと離れた時間。
次男坊を産んでからの慣れない暮らしの日々で感じたお兄ちゃんの姿は今でも忘れられなかったりする。
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